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ゆるり春の散歩
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 butakoの生活は、わりあい規則正しい。
朝は7時半起床、9時からパソコンにむかいます。今はブログに書き溜めたイタリア体験記を、本形式にまとめています。
 別に今すぐ本を出版する気はないのですが、butakoの2年間の足跡を残すのも、悪くはないでしょう?書き直すことで、あいまいだった事が分かることも多々あります。

 ようし、今日は(気分が)乗ってるな~と勇んで書き出すと、父butayosiから電話が。
「今散歩してるんや。今日はええ天気やし、お茶でも飲もう」
まぁ、お茶の誘いなんて!母とbutakoは顔を見合わせ、せっかくだから・・・と合流することに。

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 父の言う喫茶場所とは、播磨町の出会いの道公園にある、お茶室のことでした。
抹茶一服(お菓子つき)が300円で楽しめます。
今日は本当に天気が良かったので、室内ではなく縁側でいただくことに。

 縁側から、日本庭園が一望できます。小規模ながら池があり、飛び石があり、鯉まで放しています。初老の夫婦や、子供連れの若い奥さんなどが憩い、のんびり春の日を楽しんでいます。
この庭園を造ろうと発起したのは、茶室の裏手に五重の塔があるためでしょう。塔は円満寺の納骨堂です。きっと公地利用の際、五重の塔を生かすべく造園しようと思ったに違いありません。そう思えるほど庭と五重の塔は、マッチしています。

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 父と母、butakoでのんびり抹茶を飲みながら、話題はなぜか父の大学時代に。大学紛争のことや、学内派閥、浅間山荘事件など。平和ボケしているbutakoにとっては、別世界のよう。重いテーマを、庭の緑と小春日和が緩和してくれます。しばらく話に聞き入っていました。

さて、正午になったので、家に帰りましょう。
この庭園は、「出会いの道」という散歩道沿いにあるので、利用しやすいですね。
もともと出会いの道には、別府鉄道が走っていました。誕生それが昭和59年、長引く赤字で閉鎖されてしまったのです。自動車の普及で、利用客が激減したためです。惜しまれての閉鎖だった…当時小学3年生だったbutakoは、おぼろげながら覚えています。

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 閉鎖は残念ですが、跡地がうまく利用され生まれ変わりました。町民の憩いの場所になったのです。当初は散歩道だけでイマイチでしたが、徐々に広場や公園、日本庭園を作り、人が集うようになりました。年月は苗木を成長させ、季節折々の花を咲かせ、私たちの目を楽しませてくれます。
 出会いの道エリアは、わが町の癒しのスペース。春の日を思いっきり満喫しました。

散歩は家族のキョリを縮めるのに、いいものですよ。
                                                     Butako
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by butako170 | 2007-02-28 17:21 | その他
お知らせ
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 JITRAにて■"食い倒れ"スローフード留学記
第2回 マルケ州モンテカロットでの晴れときどきブタな田舎暮らし
が2月15日にアップされました。よろしく・どうぞ~★

 新たにメルマガ始めます。2月22日初メルマガ ■痛快イタリア暮らしをアップします。(毎月第2第4木曜日、配信予定)エッセイ書いてまーす★



                                          butako
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by butako170 | 2007-02-21 21:10 | 報告
スローフード播磨に入会
 スローフードという言葉、皆さんはもうご存知ですよね。
土地で取れた食べ物を、土地の料理法で美味しく頂く・・・ということ。butakoが一言で表現すると、こうなります。(詳細は、文末にあります)

 発祥は、イタリアの北部ピエモンテ州のブラ(注:ブタではない!)という街です。
1986年、マクドナルドがイタリアのローマに出店するということで、物議をかもしました。ファーストフード進出による郷土料理の破壊、古い町並みの景観を損なう懸念・・・。
そんなとき田舎町ブラで、スローフードの精神をもつ小さな組織が誕生したのです。
これがスローフード協会の前身です。

 イタリアのスローフード協会に賛同して、日本各地にもスローフード協会の支部がつくられました。コンヴィヴィウムと呼ばれるブランチ(支部)は、全国に約40もあります。
→スローフードジャパン

 さて、スローフードの精神をイタリアで学び、賛同しているbutakoは、こう思います。
スローフードは地元でこそ成し得る活動なんだと
故郷をブタ一倍愛しているbutakoですから、地元のコンヴィヴィウム活動に、興味がないはずはありません。

 そこで、butakoの最寄のコンヴィヴィウム「スローフード播磨」を訪れ、会長の平井さんにお話を聞きに行きました。

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 春の雨降りしきる姫路・・・美しい白鷺城がbutakoをお出迎えです。
平井さんに、スローフード播磨の活動を伺いました。
 現在会員は約60人。月に1回以上の会合を開き、豆腐や味噌、発酵食品を作ったり、シンポジウムを行ったりしています。
また、播磨のうまいもんを発信する会「食・地の座」というのも、スローフードの活動と平行して行っています。農家や酪農家、酒屋など作り手が中心となって、活動しているそうです。
 地元の産業を活性化させるのに、非常に有意義ですよね。

一人では出来ないことも、人が集まり、知恵が集まり、情報が集まることで大きなことができるのです。そして、それは地域を豊かにし、発展させ、人々を幸せにします。
 スローフードの活動は、地元の豊かさを実現させる運動だと、私は思っています。
みなさんは、どうでしょうか?

(写真は、平井さんの営む酒屋さん)

 スローフード運動
 ①消えつつある郷土の料理法や、質の高い食品を守ること。(味の箱舟)
 ②質の高い素材を提供してくれる小規模生産者を守ること。(プレシディオ)
 ③子供たちを含めた消費者全体に、真の味覚の教育を進めること。(食育)

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by butako170 | 2007-02-21 10:51 | 報告
気になる言葉
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 先日、姫路のイタリア レストラン 「ディーコ」で久しぶりに食事をしました。
季節の野菜サラダ、トマトと冬野菜のスパゲティ、子牛のグリル グリーンソース添えを頂き、幸せなひと時を過ごしました。
 それにしてもディーコで出される野菜の数々は、どれも旨みが凝縮していて野菜の香りや味、歯ごたえがしっかりしています。その訳を店長兼オーナーの青木シェフに聞いてみると・・・

 青木シェフの奥さんの両親が、900坪の畑を作っており、20種類以上の野菜を、無農薬で栽培しているとのこと。だから毎日、土つきの採りたて野菜が、厨房に届きます。
 「土つき」ですから、きれいに洗うのも大変です。半日がかりで何キロもの野菜を、掃除します。   
(写真は本文とは関係ありません。 butako宅の家庭→農園の野菜)

 今日のランチの脇役を固めたのは、チンゲンサイでした。
子牛のグリルに敷かれていたのは、チンゲンサイのオリーブ油和え。
冬野菜のスパゲティに入っていた野菜の中にもチンゲンサイがバッチリ入っていました。

え、イタリアンでチンゲンサイ?・・・と思われるかもしれません。
 でも青木シェフの手にかかると中国野菜だって、たちまちイタリアンに大変身です。
butakoママが、チンゲンサイのオリーブ油和えを気に入ったので、シェフに作り方をたずねていました。

 塩で茹でたチンゲンサイはフライパンの上で熱し、水分を完全に飛ばします。
少しシナッとしたと思ったら~野菜が喉が渇く~といいますが、火をとめバージンオイルをまわし掛け、和えます。

 喉が渇くなんてすごく面白い表現ですよね。料理界用語だそうですよ。
 喉を乾かせたときに、油なりブイオンなりを加えると、中にさっと染み込みます。目から鱗の調理法です。簡単でおいしいチンゲンサイのオリーブ油和え、是非お試しください。

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 さて、その晩butakoママが若い頃の中振り袖の着物を、ほどいていました。butakoのために着物をほどいで、ドレスか何かを作ってくれるというのです。グラッツェ!
 着物は長い年月を経ているため、縫っていた絹糸を引っ張るとき、キキーっと擦れた音をたてます。
 「古い絹糸って、面白い音がたつんやね。」butakoが言うと、ママは
 「糸が風邪を引く・・・っていうんやで。」と教えてくれました。着物の仕立て屋だったbutakoママのお母さんが、使っていた表現ですって。

 チンゲンサイが喉を渇かす
 絹糸が風邪を引く


 豊かな日本語の表現に、気づかされた一日でした。

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by butako170 | 2007-02-11 15:38 | その他
天国のおばあちゃんへ
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 butakoの祖母が亡くなったという知らせを受けたのは、先週の金曜日の夕方のことでした。慌ただしく豚川家一同は荷物を詰め込んで、翌朝一番の電車に乗り、祖母のいる茨城県へと向かったのでした。

 もともと和歌山県日高郡美浜町に住んでいた祖父母たちです。お正月と夏休みには、家族で出かけて、過ごしました。冬はおじいちゃんの自転車の後ろに乗って、よく買い物に連れて行ってもらいました。夏は虫取りや海水浴をして和歌山の自然を満喫しました。
 butakoの兄弟たちだけで出かけ、過ごした夏もあります。その時、おばあちゃんから「梅干は体にええさかい」と言われ、ピンポン球ほどもある自家製の梅干を一度に7つ食べたこともありました。その後ひどい口渇に襲われて、後悔することしきりでしたけど・・・。

そのうち私たちも大人になり、多くの孫がそうであるように、祖父母のいる田舎から疎遠になります。
そして7年前、祖父は胃腸の調子を崩したのをきっかけに、あっけないほど急に逝ってしまいました。何の病みわずらいもなく、潔く天国へ凱旋していったのです。
 一人暮らしの出来ない祖母は、茨城県に住む叔父一家のもとで身を寄せることになったのです。

 祖母は祖父の死後、7年目という節目に天に召されました。式は祖母がクリスチャンであったため、キリスト教式で自宅にて行いました。
 お葬式当日はbutakoとbutakoママはクリスチャンなので、大きな声で賛美歌を歌いました。これが祖母に対する最高の弔いなんだという強い思いをもって。
幼いとき教会に集ったことのある叔父は、豊かな音楽的才能を遺憾なく発揮しアルトのパートを、牧師は腹に響くバスを担当し、美しいハーモニーの即興聖歌隊でもって賛美を捧げました。

 
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 祖母が信仰への道を歩みだしたのは、戦後まもなくです。結婚してわずか2週間後、祖父の元に赤紙が届き、二人は引き裂かれます。でも祖母の腹には新たな生命を宿していました。
それが、butakoの父です。一方祖父は、それを知る由もなく戦い続けていました。ロシア戦線で苦労に苦労を重ね、何度も死の危機に直面しながら。

 ・・・ロシアでの生死は不明、そう通知されてもなお夫の生存を信じ、5年間も待ち続けた祖母。女手一人で乳飲み子を育てるのは、なんと苦労の多かったことでしょう。その時キリスト教に出会い、クリスチャンになったといいます。
そして戦争が終わり3年が過ぎたある日、祖父の帰還の知らせを受けるのでした。

 戦争というあの時代のうねりの中で、よくぞ生き抜いたとbutakoは感心します。家族は引き裂かれ、飢えと孤独と、生命の危険という事態にさらされながら・・・。
 そして祖母の信仰は、息子の嫁(butakoのママ)と孫(butako)によって引き継がれます。親子孫の3代と。若かりしButakoママは祖母を尊敬し、彼女に倣いクリスチャンになりました。Butakoは彼女らをみて育ち、信仰を持つに至ったのです。

 祖母はbutakoたちに信仰という財産を与えてくれました。それは、お金でも土地でもダイヤモンドでもない、永遠の宝です。式の間、butakoの胸には祖母に対する感謝で溢れており、悲しみのかなにも清々しい気持ちが湧き上がっていました。そう「信仰を受け継ぐ」という意味を、心で理解した瞬間でした。

 ありがとう、おばあちゃん。天国でゆっくりと休んでね。
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by butako170 | 2007-02-06 21:38 | 報告